7月27日~28日1泊で遠軽町白滝の白滝高原キャンプ場でキャンプをしてきました。
白滝高原キャンプは私が前の職場時代から数える事、10回以上はお世話になっている自然豊かな森の中にあるキャンプ場です。
白滝でキャンプしたいという理由は、この地の壮大な歴史にあります。
歴史については後ほど書きますが、私はキャンプでは大人の仕事と子どもたちのやることを明確に分けていることがあります。
テントを張る(今回はコテージにしましたが)、食事を作る、運転する、薪を割るなど技術や危険が伴うものに関しては大人が責任をもって行い、子どもたちが「お手伝い」は遠慮します(炭起こしの時に扇いでもらったくらいかな・・)。
子どもたちには自分の身の回りの整理や整頓、そして遊ぶものが少ない状況で、誰とどのように遊ぶか、危険回避や自分がしなくてはならない行動は何なのか、物が少ない状況で「分け合う」や「譲り合う」こととはどうすればよいのか、頭をフル回転させてもらいます。
そのためには物事を「コンパクト」に考える癖をつけなければなりませんし、「瞬時」の「決断」が必要になります。大自然の中で生きて、そして無事に帰るにはどうしたらよいのかを自分の感覚を使って獲得してほしいのです。
自分の身体と頭で「知恵と知識を紡ぐ」ことが目的です。
さすがに矢じりを作って狩りをして夕食・・というわけにはいかないのでスーパーで購入した美味しい焼き鳥を食べるのでした
今年のお遊びはA君が持ってきたフリスビーとB君が持ってきたサッカーボール
さて、歴史のお話です。
遠軽町白滝に足を踏み入れると
壮大な「地球の歴史」と
道具を駆使するようになっていく過程をみることが出来る「人類の歴史」と
日高山脈まで続くプレート同士の動きによる「北海道の成り立ち」を
知り・感じることができます。
「地球(ジオ)」を体感できる地なのです。
日本最大級の縄文遺跡群がこの地にはあります。それは「十勝石」と呼ばれている多くの「黒曜石」が関係しています。そこに北海道よりもっと北のシベリアからマンモスを追いかけて沢山の人がやってきたと言われています。そして白滝周辺の地に集落を作りました。なぜならば、ガラス状である「黒曜石」は武器の役割をする「やじり」などに加工しやすく、マンモスや鹿などの動物を捕獲し食用等に処理する「道具」の制作に最適の地であったからです。多くの「遺跡」から掘り起こされた道具からどのような生活がなされていたのか、その様子がわかります。石器工場がこの地の産業としてあり、生活がどのように行われていたのか、思いをはせることが出来る地なのです。
詳しいことは下記のホームページを参考にしてください。
白滝ジオパーク — 黒曜石がつむぐ地球と人の物語。
(engaru.jp)
昨年はみんな矢じりをつくりましたが今年はみんなアクセサリーや勾玉をつくりました
白滝ジオパークセンターで森になったり、火山のマグマになったり・・
C君
D君
昨年はC君がこれをかぶり、今年はD君がこれをかぶり黒曜石気分になりました
時は流れ
白滝は遠軽町と合併する前は「白滝村」という広大な森林面積を持つ村でした。
この白滝村には、かつて5つの駅がありました。
1890年ころから1910年代にかけて、明治政府は北の防衛と開拓を目指し、網走から北見峠までの道路や鉄道を作るために多くの囚人を使って劣悪な環境で建設作業を行い、多くの犠牲者がでました。
白滝から北見方面へと下ったところにある常紋峠のトンネル工事では過酷な労働に反発した労働者を「見せしめ」のために人柱として埋めたという非常に残酷な出来事もあり、その様な事を繰り返さないために、この地方の子どもたちは学校で「地域の歴史」を学びます。
私も常紋トンネルから近くにある北見市という町の出身なので、繰り返しこの歴史を学びました。
1920年代になり、上川町~北見をつなぐために国鉄石北線が作られ、北見峠がある白滝はその急こう配ゆえ、「難所(なんしょ)」とよばれ、奥白滝、上白滝、白滝、旧白滝、下白滝という5つの駅をつくり、「難所」を乗り切りました。今から40年ほど前の学生時代、旭川から北見へ帰る列車の中で登りの天幕、中越、上越駅までは上川地方、少し下り始める白滝まで来ると網走地方に帰ってきたという実感があるくらい、この峠を越えるのは「一苦労」という思いがあります。
今回、子どもたちはJR旭川駅から上川駅へ、乗り換えて白滝駅まで列車に乗っていきました。初めて列車に乗った子もいます。上り坂になるとスピードが落ちていくので、苦労して時間通りに到着するために運転技術を駆使している運転手さんの姿をじっと見ている子もいました。
その石北線も道路が整備され車社会になり乗る人が減ったためか駅がどんどんなくなっています。
遠軽町東社名淵出身であり機動戦士ガンダムで有名な漫画家でアニメーターの安彦良和さんが描いた、戦争から帰還した兵士が北見峠を眺めている絵が飾られている白滝駅が「白滝」の名前を残す、たった一つの駅となりました。
白滝駅にて。中を取るのを忘れました
てへぺろ
みんなお気に入り五右衛門ぶろ・・に入って、2日目は丸瀬布で森林鉄道を動態保存している雨宮21号に乗って、帰りは丸瀬布駅から列車にのって帰りました。鉄道三昧
そして現代
この便利な世の中で、先人たちの「困難」や「苦労」を言葉で伝えることは伝わりにくく、理解していくのはかなり難しくあります。その反面、現代の便利な道具を使いこなすのに苦労している様子も見られます。
このキャンプで「Wi-Fi環境がないのがショック」と言っていた子がいましたが、無いのに慣れると虫を捕まえて大人に虫について質問したりして遊んでいました。
「自分で遊びを作り出す」のが難しい時代に、少しでも「自分で考えて遊ぶ楽しさ」を味わってもらえたらこのキャンプは成功です。
たぶん今回の「楽しさ№1」は「石ひろい」だったと思います。